私が政府を責めない理由

 このブログのエントリ「沖縄・戦後情報統制に関する自分用まとめ」でnatasuさんがコメントをくださいました。

 そこで何度かやり取りを下のですが、最後のEz-manの意見に関して言いたいことが膨大になりすぎたので、別エントリを作ることとしました。

 まず、一つ前のnatasuさんのコメントから紹介します。

natasu | 2007/03/14 12:58 AM
 返信ありがとうございました。
戦争が起きた原因を、私は今まで政府の誘導というか、まぁ洗脳に近いもので国民を戦争賛成に導いたためだと思っていたので、Ez-manさんの考えがとても新鮮で興味深かったです。Ez-manさんが国民も悪いと考えた理由が聞きたいです。

 あと、大学のレポートでこのネタ使わせてもらいました。恩に着ます。

 僅かにでもお役に立てたのならば存外の喜びです。
では以下が、コメントへの回答です。

 まず、最初に断っておきます。
私は「国民も悪い」とは思っていません。
もちろん、「政府が悪い」とも思っていません。
ただ、「戦争をする事を国民も決断した」と思っています。

 つぎに、一部の人間が世論を恣意的に導いた側面は否定しません。
しかし、一部の人間とは誰でしょうか。
おそらくは当時の政財界上層部の多くの人間であり、特定個人あるいは特定集団とはいえないでしょう。
戦前も日本は民主主義国家だったのです。
選挙権もあり、今あるものはテレビと携帯電話とPC以外は全てがあったような状態です。(普及度は違いますが)
そもそも「政府」は廣田内閣ですか?林内閣ですか?近衞内閣ですか?平沼内閣ですか?阿部内閣ですか?米内内閣ですか?東條内閣ですか?小磯内閣ですか?鈴木貫太郎内閣ですか?1935年から10年、日本はナチスドイツと異なり、10年余りの間にこれだけ内閣の変わる民主主義国家でした。
それでも戦争を決断しました。
それは、最良の選択とはいえなかったかもしれませんが、多くの国民が望んだ一つの考え方に基づく正当な選択であったと考えています。

 補足として、国民が戦争を望んだ理由を記載しておきます。
例えば、関東大震災(1923)、世界大恐慌(1929)により日本国内経済は壊滅に瀕しました。
これに対し、欧米列強は植民地を用いた保護貿易化を進める重商政策で景気対策にあたりました。
アメリカもプエルトリコ、フィリピンなどの植民地を持っていました。
一方、1600年代から300年続いた欧米の植民地争奪戦に参加していなかった日本は植民地をもたず(台湾、朝鮮半島は日本の領土であり、かつ、産業基盤の無い土地であったため日本はここにインフラ投資で援助することはあっても、資本の収奪は「出来なかった」・後に満州を得るが国際法上の保護国であり、形だけといえは徴税権を満州国政府が持つため、日本側が植民地的収奪を行うことは出来なかった。満州に渡った日本人が利権を握り、その一部個人が巨万の富を得たことは否定しない)、第一次世界大戦の敗戦国ドイツは植民地を奪われ、もって居ませんでした。
これらのことから、この2国が1600年代から300年続いた欧米の植民地争奪戦のつもりで戦争を仕掛け、自分達もイギリスやアメリカが持つ植民地の一部の割譲を迫ることは何の不思議もありません。
植民地争奪戦の時代にあって、「戦争をする事を決断する」ことが悪いとはまったく思われていなかった点に注意する必要があると思います。
特に、当時の世界情勢と国際常識に照らせば当然すらいえます。
不幸は、アメリカ大陸の全てのネイティブアメリカンの土地を奪い(1800年代前半)、プエルトリコ、ハワイ、フィリピンを植民地化(1800年代後半)したアメリカが、次は「非白人国家である日本」を滅ぼして植民地化しようとしている可能性(オレンジ計画など)を、「宗主国側にたったと誤解した」日本が気付けなかった点です。「非白人国家である日本」を滅ぼそうとした証拠として、民間人無差別攻撃を東京大空襲をはじめとした主要都市への絨毯爆撃(住宅区画の周囲に爆弾で火柱による10km以上の”壁”を作えい、避難路を絶ってからその中に爆撃し計画的に民間人を殲滅する作戦)や広島・長崎への原爆投下などが挙げられます。よく、京都への絨毯爆撃や東京への原爆投下をアメリカが避けたとする主張を「日本人から」聞きますが、アメリカ公文書館に収められた計画書にはそのどちらも計画されていましたが、天候(広島が快晴だったの、初投下の実験に最適な広島が選ばれた)や効率(京都爆撃も計画されたが、人口密集度と工業従事者の少なさ、飛行距離などの観点から後回しにされた)から実行されなかったに過ぎません。
あのときに、私達の先達がアメリカに命がけで抵抗しなければ、(良くも悪くも)1500年続く日本文化の先にある今の日本はないでしょう。
もちろん、アメリカに日本が滅ぼされ、植民地化されたほうが良かった言う価値観があることも認めます。
しかし、今の私は「1500年続く日本文化の先にある今の日本」で両親に生み育てていただき、その社会で成長させていただき、友人や様々な恩恵を得た折、「1500年続く日本文化の先にある今の日本」に敬意を持っています。
したがって、文字通り身を捨ててそれを守ってくださった当時の沖縄県民をはじめとする国民、特に死の危険を覚悟の上で戦地に赴かれた軍属などの先達とその覚悟に、敬意と謝意を持ちます。彼らが洗脳されて犬死した嘘を見破れないおろかで哀れな犠牲者と見ることは消して出来ません。

 最後に、私が自分を含めた国民に責任を問う理由を述べておきます。
それは、「自分達は騙されただけでで責任が無いと思考停止すれば、また同じ事を繰り返す」と考えるからです。
戦争自体を悪とは決め付けませんが、不幸になる人が多い判断であることもまた確かです。
したがって、避けられるのならば避けた方が望ましいと思います。
もちろん、家族や友人の未来を他国が脅かすならば断固として戦います。
それは武力を用いた戦争でも経済戦争でも情報戦争でも全て同じです。
この部分が重要であり、現在の日本のマスメディア、エスタブリッシュ層、教育関係者は軍事侵攻のみを「戦争」を呼んでいるようですが、私はもう少し広い認識で「戦争」という言葉を捕らえています。

例えば、経済進出は一種の戦争です。
逆に現在のトヨタ・cannonなど日系企業の東南アジアでの搾取的な工場に関して、
将来的な評価を非常に危惧しています。
現在の観点では工場進出は侵略とは見られませんが、地場産業に壊滅的損害を与えていることは間違いなく、将来的には「経済的帝国主義」などと非人道行為として批判の対象となるのではないかと思えます。
資源確保を目指した戦前の日本の南進も、安い人件費を目指した現在の日系企業も現地に与える影響の大きさと言う観点では変わらないでしょう。
むしろ、金銭という快楽でもって現地の伝統的な産業や価値観を破壊し、その共同体の構成員を「奪う」という行為は、暴虐で共同体を破壊するよりに、共同体側の免疫めいた防疫機構をすり抜け、共同体義築かないうちに致命的打撃を与えるという点では遥かに非人道です。
銃と化学兵器の差のようなものです。

翻ってみて、我々国民は日本の経済発展の観点から、日系企業を全面的には否定せず、むしろ積極的賛成あるいは消極的賛成していると考えます。
日系企業のアジア進出に、現地の文化や共同体や伝統産業の破壊を危惧する観点から反対している人間が、現在の日本に何人いるでしょうか?
多く見積もったとしても1%も居ないでしょう。
当時の軍事進出に対する国民の反応も同じだったと考えます。
ゆえに私は、「代史の戦争は例外なく国民の3分の1以上が望み、発生したと考える立場」をとり、「自分達は騙されただけでで責任が無いと思考停止すれば、また同じ事を繰り返す」と考え、せめて自分があった人間にだけでも「思考停止せずに、自分なりに考えてみると面白よ」といい続けるつもりです。

…凄く長くなりましたが以上です。

This entry was written by Ez-man , posted on 水曜日 3月 21 2007at 02:03 pm , filed under 政治 . Bookmark the permalink . Post a comment below or leave a trackback: Trackback URL.

One Response to “私が政府を責めない理由”

  • natsu より:

     とても詳しく、丁寧な説明をありがとうございました。
     今引越したばかりでインターネットができる環境にないことと、EZ´manさんの意見がまだ十分に消化できていないので、環境が整い次第また返信したいと思います。すぐに意見を言う事ができなくてすいません。よろしくお願いします。

コメントを残す

XHTML: You can use these tags: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>