ツクモガミのクニのロボット

 日本人は永く使えば傘にだって意識が芽生えると感じている。これは神道の流れを汲む精神だろう。神道を原始的なアミニズムと切って捨てるのはは簡単だが、この神道の精神こそが細やかな感性そのものであり、重要であると感じている。
 石にだって精霊は宿うと感じている。すなわち、精霊が心を持つならば、すなわち石も心を持つと感じていると同義。法的な「人権」はともかく、ロボットに「心を感じる」のは日本人なら至極当然…ですよね?(急に弱気)
ロボットにも人権? 「早すぎる」と専門家が反論
 いきなり司法から入る西欧の感覚に違和感を感じる。新たな利権の始まりの予感だ。

ロボット技術の急速な発展を受けて「人権をロボットにまで拡大することが要求されるかもしれない」と英政府は報告しているが、ロボット工学専門家は否定的だ。

 ただし、政府は将来的にはこんな状況が考えられると言っているだけで、それを否定する技術者の態度は科学的では無いと感じる。安易な法律論で語るのは好ましくない位にしておけばいいのにね。

英国はロボット利用で他国に後れている。日本は特にロボット採用が進んでおり、高齢者の世話ができるロボットも開発している。同国の研究者は、見たり聞いたりにおいをかいだりできるだけでなく、最高で70キロの重さのものを運べる高さ1.52メートルのロボットを作り出した。

これの事ですね。

 米国では6年前に、連邦議会が軍用ロボットの3分の1を2015年までに自律型にすることを求めた。現在米軍が使っているロボットは砂漠地帯を自律的に移動できる。研究者らは都市部でも同様のことができるかどうかを調べているところだ。

 昨年韓国では、科学者らが人を殺すこともできる武装警備ロボットを開発した。韓国当局者は、銃を装備したロボットを北朝鮮との国境のパトロールに当たらせることを提案した。

他国が懸命にロボット技術の軍事転用を模索する中、介護に精を出す日本製ロボットは微笑ましいと思う。基本的に人件費の高い日本こそロボットの軍事転用を進めるべきだと思う。しかし、あえてそれをしない日本人は嫌いじゃない。

This entry was written by Ez-man , posted on 木曜日 4月 26 2007at 11:04 am , filed under 気になるアイディア . Bookmark the permalink . Post a comment below or leave a trackback: Trackback URL.

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